自遊気ままに

50歳も近づき、人生も折り返し地点を通過(^_^;) 仕事と空手を中心に、日々の雑感を書き残していきます。

一ヶ月経過

退院から一月が経過しました。


装具もとれ、ようやくスタートラインに立てた感じです。


今の左腕は、前も横も、15度程度しか上がりません(^-^;


やはり長い時間がかかかりそうです。


まぁ焦らずいきます(^^)


仕事もお休みを頂き、職場の方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。


できるだけ早期に回復して、その暁には以前より増して三倍働く意気込みでございます。


このひと月は、体がなまらないよう、下半身だけで
ゆっくりと形の練習、スクワット、ウォーキング、腹筋はできないのでドローイン。


また、過去の練習日誌を読み返したり、記録した動画を眺めながらイメージの維持に努めました。


あとは、お笑いが好きなんでDVDのレンタル三昧(^^)


そして読書。


せっかくの機会なので、気になる本は読みまくりました。


その中で、とある本のフレーズがすごく気になったので、思わずノートに書き写した部分があります。


著者の仮説によれば、






この世の全ては、相対の関係でなりたっている。
上と下、楽と苦、健康と病気、空と大地、若さと老い、富と貧しさ、右と左、昼と夜、自分と他人…
全てが相対する二極で成り立っている。
この二極を体験できるから、喜怒哀楽、感動がある。
それに対して宇宙は絶対的で中立。
善も悪も天国も地獄もない。
無の世界。
無に相対はない。
したがって、そこには、喜びも悲しみも、心が震えるような感動もない。
だから、魂は、愛と不安、という相対する二極を体感したくて人として転生を繰り返す。
自らの意思で…





ほんの一部ですが、抜粋した内容です。



私は特に信仰に関心はありません。
年に一回、せいぜい初詣に行くくらいで、お墓参りもめったに行きません。



ですが自分にプラスとなると直感したものは、雑誌、唄、映画、ジャンルを問わず、とりいれます。(時にハズレもありますが)



先日、西日本実業団空手道選手権が開催されました。



見には行けませんでしたが、今年も、選手、先生方の、悲喜こもごものドラマがあったことと思います。



例えばこのドラマに先程の仮説をあてはめた場合、



勝ちと負けの体験 → 喜びと悲しみ、或は栄光と挫折の実感 → 時間の経過 → 新しい自分の創造…



のように成長の輪が、回り続けます。



あくまで筆者の仮説ですが、私はこれを肯定的にとらまえてます。



要は、マイナスもプラスも、体験できること自体が魂の喜びである、ということだろうと。



上手いと下手、有能と無能。



表面上はそう見えるでしょう。



でも、そんなのは関係ないです。



楽しみ、努力できる人は、みんな勝者と信じます。



長くなりました。



そろそろ終わります、(^^;(^^)



また、二か月後、ご報告します!